東京国際空港(羽田空港)になるまでの道のり
1931年(昭和6年)8月25日に日本初の国営民間航空専用空港東京飛行場(羽田飛行場)として開業したが、1945年8月の第二次世界大戦終戦後はアメリカ陸軍の管理下に置かれ、ハネダ・アーミー・エアベース(羽田陸軍航空基地)と呼ばれていましたが、1952年7月にアメリカ軍から一部返還されたが、戦後の財政窮乏のため財界主要企業の協力により1953年に日本空港ビルデング株式会社を設立し、1955年に新しい旅客ターミナルが完成「東京国際空港」に改名をする。
1958年に全面返還され、国際線・国内線ともに発着回数が増え、1964年に行われた東京オリンピックの時など数度にわたり旅客ターミナルが増・改築もされたが、離着陸をさばくのが困難になり、1978年に成田に新東京国際空港が開港し、すべての国際線が移転。羽田は名目上国内線専用の空港となりました。
台湾の中華航空だけは1974年1月の日中航空協定によって日台路線に就航する台湾籍の便はすべて「日本の国内線扱い」とすることが日中間で取り決められていたため特例として羽田に残りました。(2002年に4月18日に成田空港のB滑走路が供用を開始したことに伴い、チャイナエアライン(中華航空)とエバー航空は成田発着となりました。)
その一方で、1984年1月から羽田の「沖合展開事業」が進められ1993年9月には新国内線ターミナルビル(第1ターミナルビル)が完成しました。この第1ターミナルビルを「ビッグバード」(Big Bird) という愛称をつけ、今日ではこれが羽田空港旅客ターミナルの総称としても用いられています。
1998年3月20日には新国際線旅客ターミナルビルが完成しました。2004年12月1日に第2旅客ターミナルビルが供用を開始し、現在は第1旅客ターミナルはJALグループ、およびスカイマーク (SKY)・スターフライヤー (SFJ)
第2旅客ターミナルはANAグループ、およびADO・SNA のそれぞれ専用ターミナルとなっています。
*現在は、A滑走路 ・ B滑走路 ・ C滑走路 の3本。A滑走路とC滑走路は平行滑走路のオープンパラレル配置で、同時離着陸が可能で、発着する便のほとんどが国内線です。羽田は、日本では数少ない24時間運用が可能な空港の1つです。(他に、関西国際空港、中部国際空港、新千歳空港、新北九州空港、那覇空港)しかしながら、羽田空港は東京都区内にあり利便性が高い反面、騒音問題・増便規制・小型機の乗り入れ禁止などのいわゆる羽田空港発着枠問題といった問題が存在し、これらの問題を解決するため現在沖合展開事業や再拡張事業が行われています。
新国際線旅客ターミナルビル
*2002年サッカーワールドカップ日韓大会開催期間中とその前後に羽田と金浦を直接結ぶチャーター便を発着させ、これが好評のために、翌2003年からは羽田と金浦の間に「定期チャーター便」航路が開設され、2007年に羽田と中国上海の虹橋空港の間に「定期チャーター便」航路を新たに開設しました。
近年の航空需要の増大から羽田空港の再拡張を優先的に行うこととされ神奈川県寄りの多摩川河口付近に人工島を造成し、既存のB滑走路とほぼ平行に近い形で2,500mの新滑走路「D滑走路」の計画が2007年3月31日に開始され、2010年10月完成・供用開始を予定。近距離国際定期便として、ソウル、釜山、上海、大連の就航予定にしています。
D滑走路は現在の管制塔からかなり離れており、現在の管制塔から管制官が目視でD滑走路上の機体を確認することができないため、新たに現在の管制塔の南東側、第2駐車場に隣接する「バスプール」のエリアに、世界で3番目の高さとなる116mの新管制塔を建設する事が決定し、今現在基礎工事を実施中です。
今はなき羽田東急ホテル⇒羽田エクセルホテル東急
羽田東急ホテルは1964年に開業、2004年9月30日 閉館。
1968年に隣接する旧羽田プリンスホテルを買収し、別館とし、1983年10月18日から1984年3月27日まで放送されたテレビドラマ「スチュワーデス物語」の舞台となりました。
羽田東急ホテルの閉館後、2004年12月1日、羽田空港第2ターミナルビル内に現在の羽田エクセルホテル東急が開業しました。
※私達家族が、長年住み慣れた東京から実家に戻る時、3歳の娘を連れディズニーランドで遊び、東京最後の夜は、羽田東急ホテルに宿泊しました。あれから20年以上時が過ぎましたが、とても懐かしく思われます!
今、羽田空港に直結しているホテルは羽田エクセルホテル東急しかありませんが、空港周辺のホテルで、羽田空港までの無料送迎のシャトルバスがあると大変便利ですよね。そんなホテルを特集しています。